トップ > 町議会 > 委員会活動記録 > 総務、教育常任委員会委員派遣報告(平成19年)

総務、教育常任委員会委員派遣報告(平成19年)

更新日: 2012 年 04 月 27 日

沖縄県北谷町と読谷村 平成19年7月10日〜12日

平成19年9月11日
美里町議会議長 沼津敬太郎 殿
総務、教育常任委員会 委員長 櫻井功紀
総務、教育常任委員会委員派遣報告書
本常任委員会は、委員会規則第22条の規定により、下記のとおり調査を終了したので報告する。

1 調査年月日 平成19年7月10日(火)〜12日(木)
2 調査研修地及び調査事項
研修地 調査事項
沖縄県北谷町 平和行政
沖縄県読谷村 文化村づくりの経過と課題
3 参加者 櫻井功紀、我妻薫、大橋昭太郎、平吹俊雄、小林昭、沼津敬太郎
4 調査報告

沖縄県北谷町の平和行政の取り組みについて

1 視察目的
世界の恒久平和と安全は、人類共通の念願である。当町においても長期総合計画で、「広島、長崎、沖縄に学ぶ派遣事業」を取り組むことから、北谷町での平和行政について研修する。

2 北谷町の立地
北谷町は、沖縄本島中部に位置し、北は嘉手納町、東は沖縄市と北中城村、南は宜野湾市に隣接している。西は前面が東シナ海に面している。亜熱帯性気候で四季を通して温暖。東西約3.4km、南北5.9kmのほぼ長方形をな、公示面積は13.63平方キロメートルである。
人口は26,905人、米軍基地の占める割合は54%で県内では3番目の基地占有率になっている。
海沿いのハンビー飛行場返還跡地は、大型商業施設を中心とした再開発を行った結果、急激に都市化が進み、基地返還後の跡地利用の成功例とされている。

3 北谷町の平和行政の概要(よりよき平和行政発展の礎に)
1) 基本的な考え方
60年余という歳月の流れの中で、世代交代もあいまって徐々に戦争体験の風化が押し寄せてきている。日本の歴史の中で、かつて経験したことのない未曾有の大惨禍をもたらした戦争を風化の危機にさらしてはならない。沖縄戦、ヒロシマ、ナガサキの体験を受け継ぎ、後世に語り継いでいくことは、私たちに課せられた歴史的使命である。私たちは戦争の実相を常に正しく把握し、平和の尊さを認識し、沖縄を平和の発信地として位置づけ、平和なふるさとの建設に努めるとともに、アジアや世界に向かって平和を希求する心を訴え続け、人類の恒久平和実現のため努力していくものである。
2) 平和事業施策について
戦争により多くの町民が命を失い、家屋、道路、田畑などもことごとく破壊され、終戦時は町の全域が米軍により占領され、辛うじて生き延びた町民は自らの土地に帰ることすら許されなかった。1946年10月22日、ようやく上勢頭の一部に居住が許され焦土と化したふるさとのゼロからの戦後復興が始まった。1946年10月22日は、北谷町にとっては、記念すべき大事な日である。そこで、沖縄戦体験並びに広島、長崎の被爆体験を歴史的教訓として受け止め、いかなる理由があっても戦争は絶対に起こしてはならないとする町民の総意に基づき、日本国憲法と「北谷町非核宣言」の理念の下に、すべての人が楽しく平和で豊かな生活をおくれる町づくりを進めている。10月22日を「北谷町平和の日」として条例制定し、町民が戦争についてや、平和の尊さについて語り合う日にするものである。そして、毎年10月22日から月末までを「北谷町平和推進旬間」と制度化し、平和なふるさと建設と世界の恒久平和実現のため、事業を実施している。
3) 平和教育の取り組みについて
北谷町には、4つの小学校と2つの中学校がある。各学校とも、平和教育についてはそれぞれ特色がある取り組みを実施しているが、その内容は、今年度の取り組みについては、平和教育を進めていく中での課題、課題解決にむけての改善策、教育委員会などの要望に分け行っている。主な取り組みは、各学校とも、6月は期間を定め平和週間を設け、戦争に関する展示物や本に触れることで、再び戦争を起こしてはならないという決意を新たにする。
また、戦争体験者から当時の体験談を直に聞くことで戦争の恐ろしさを知り、いのちの大切さに気づくとともに、二度と戦争を起こさないという恒久平和を願う気持ちを育てる平和集会を実施している。更に町の平和記念祭への参加や長崎への修学旅行での平和教育、平和学習を実施している。子どもたちは学校生活の中にも戦争につながる一因となる場面があることに気づき、いじめや喧嘩を無くしていきたいという感想を持っているようであった。
4) 基地との関わりについて
北谷町には、キャンプ瑞慶覧、キャンプ桑江、嘉手納飛行場、陸軍貯油施設の米軍基地があり、これらの米軍基地が北谷町に占める割合は約54%にも及ぶ。この広大な米軍基地により、居住地域は分断され、住民は日常生活でも不便を余儀なくされている。さらに、航空機騒音や、基地があるゆえの事件、事故が発生し、周辺住民に不安を与えている。基地の整理縮小を促進し、その跡地利用により、平和で豊かな活力ある町づくりをしていくことが、北谷町の基地行政の基本方針である。
5) 平和行政事業(平成18年度)
・憲法講演会開催
・日本非核平和宣言自治体協議会役員会研修会
・第23回日本非核平和宣言自治体協議会総会及び第21回非核宣言自治体全国大会
・広島・長崎平和学習派遣事業
・北谷町平和記念祭
・平和行政「北谷町の戦跡・記念碑」の冊子出版
・関係各課の平和関連事業
・沖縄平和運動センター「5.15平和行進」
・沖縄県主催全戦没者追悼式
・沖縄平和賞募金

4 視察のまとめ
世界の恒久平和と安全は、人類共通の念願である。1945年4月1日米軍は北谷西海岸から上陸した。日本で唯一の悲惨な地上戦は、3ケ月にも及び一般市民をも巻き込み、沖縄県全土で20万人あまりの尊い命を奪い去った。当町においては、非核平和都市宣言を発し、また長期総合計画の平和行政の推進にあたっては、広島・長崎・沖縄に学ぶ「平和体験の旅」派遣事業を取り組む。沖縄戦の体験実相から、戦争の不条理さと残酷さを正しく次代に伝えるためにも、是非沖縄に派遣し、平和憲法の精神に立脚した未来永劫の平和な美里町建設に図られたい。

沖縄県読谷村の読谷まつりと文化行政・まちづくりについて

1 視察目的
行政が中心に進めてきた「読谷まつり」とまちづくり運営を調査、とりわけ文化行政のあり方について調査研修する。また、読谷村文化センター、村立美術館などの運営を視察し、本町の文化会館や近代文学館の運営などと比較し、文化行政を研修する。

2 沖縄県読谷村の立地
読谷村は、沖縄本島中部の西側にあり、東シナ海に面し、那覇市から北に約28kmに位置する。東は沖縄市、南は嘉手納町、北は恩納村に隣接し、西側は東シナ海に突き出たように残波岬が伸びている。村の総面積は、約35.17平方キロメートル、人口は36,771人である。本土復帰時に村土の74%あった米軍基地はいくらか返還されたものの、村土の半分近くの47%は、今なお軍用地である。1997年3月、村民の粘り強い努力の結果、米軍読谷飛行場内に新読谷庁舎を移転した。産業では、花(菊)の粗出荷額が10億円を超え、また特産品の紅芋は有名であるほか、県内市場では読谷産メロンの人気が高く、粗出荷額は野菜類では最も多くなっている。「伝統・文化・芸能」をキーワードに読谷村民が結集する恒例の秋祭り「読谷まつり」が有名であり、400名以上の村民が迫力ある大合唱と大演奏を披露している。

3 読谷まつりについての概要
1) 読谷まつりの歴史
1975年に村立民族資料館の会館を記念し「読谷村文化まつり」として開催された。1977年の第3回から「読谷まつり」となる。今年で33回を数える。
2) 読谷まつりの特徴
村民総参加の手作りのまつり。各字単位に、地域の伝統芸能の掘り起こしや、芸術文化の継承、想像の総合発表の場として「地域に根ざした産業・経済・文化・芸術の発展」をめざし、地域ぐるみのイベントとして開催している。経済団体である農協、漁協、商工会、花織組合と各字、小中高校、子ども会、老人会、婦人会、青年会、福祉団体、文化団体等が総参加し、準備、設営、運営、片付けに至るまで、役場の全職員を中心に行っている。
村からの補助金は1,280万円、総経費で約1,800万円。出演者への報奨金は一団体10〜15万円で520万円ほど。衣装代などは各地区で負担、負担の仕方も各地区によって様々。昨年(第32回)は延べ5,000人が参加し、来場者は二日間で13万人であった。テナントの売り上げは約32,278千円である。
3) 読谷まつりの内容
メイン会場
初日 「赤犬子琉球古典音楽大演奏会」(赤犬子=歌と三線の始祖)
2日目「受け継ごう読谷(ふるさと)の心」「創作・進貢船」、サブ会場・サブステージ、子供たちのバンドやダンス、各種団体の演技、ちびっ子相撲大会、少年野球大会、囲碁大会等。一週間前別会場で「闘牛大会」も開催
4) 読谷まつりの今後の展開
第1回から10回までを「読谷の伝統文化の掘り起こし、継承発展の10年」、第11回から第20回までを「想像の10年」、第21回から第30回までを「自律の10年」として村民総参加の手づくりのまつりを行っている。第31回から向こう10年のテーマを「限りない可能性と夢を求めて今!村の新しい創世・自律のとき」、サブテーマを「環境にやさしい、ユンタンザ美ら村づくり」とし、環境について考え取り組んでいる。各地区の青年会の衰退傾向などもあり、伝統芸能の子ども会への引き継ぎなどの課題がある。

4 読谷村文化センター
1) 施設概要
「芸能、文化の発表・観賞及び創造の場」としての鳳ホールと「生涯学習の促進と村民交流の場」としてのふれあい交流館の複合施設として設置。鳳ホールの客席数は724(車いす席8、親子席10含む)他に控え室、楽屋4がある。中ホールの客席数は252である。他に、和室3、調理実習室、工作実習室、視聴覚室、講座室、談話室、ギャラリー等が250名収容の野外ステージを囲むように設置されている。開館は、平成11年10月1日。総事業費は、2,524,956,958円であった。
2) 鳳ホールの18年度の利用状況
稼働率 45.6% (開館309日、貸館141日)、入場者 31,793人、高校のアンサンブル、中学校の合唱コンクール、大正琴や琉球民謡などの発表会、子ども芸能祭、村民音楽祭、文化協会の文化祭、ミュージカル、県吹奏楽コンテスト、複数の音楽学校の卒業演奏会等々。他にも老人クラブ、障害者団体、福祉団体の催し物など、リハーサルや準備を含めると稼働率はかなり高い。特に11月〜2月は60%から80%の稼働率になっている。
3) ふれあい交流館
「平和体験教室」「ハルサー講座(農業入門講座)」「親子アート教室」など19年度は年間17の講座が計画されている。太極拳、エアロビック、三線、着付け、フォークダンスなど多くの種類のサークル33団体が交流館を利用している。

5 美術館
1) 施設概要
「ゆんたんざ文化づくり」をめざし、歴史民俗資料館に併設する形で、1990年3月に設立。織物や焼物を中心に作品の収集に努め、文化村としての様々な活動の中核をなすことを使命としている。床面積は590.76平方メートルである。職員は、非常勤館長のほか正職員2名、予算は、1,000万円〜1,100万円が措置されている。
2) 美術館の主な事業
収蔵品展(「美術の部」と「染織の部」に分けて開催)、読谷やちむん展(村内40余の窯元の陶工作品を展示)、読谷アンデパンダン展(無審査、無表彰、自由出品の村民参加の総合美術作品展、今年で27回目)、児童生徒作品展、その他に「沖展会員」の絵画展や工芸展。また、中学生対象の美術工芸教室、ふれあい学校巡回展などなどが今年度の事業として計画されている。

6 視察のまとめ
「読谷まつり」に集約されるように、村ではぐくまれてきた様々な伝統芸能、工芸等々を村民全体で再確認し、将来に継承・発展させていこうとする姿勢が強く感じられた。「まつり」は村民の「発表の場」であり地区民どうしの絆を確認し、読谷村の歴史に誇りを再認識する場でもある。そのために役場は職員全体でそのコーディネーターとして役割を果たしている。伝統芸能の伝承には、難しさが横たわっていることも話された。だからこそ、次の世代に伝え、発展させていくためのあらゆる努力が行政にも求められていることを痛感させられた。
本町も文化のまちづくりを重視してきた結果、各種サークルや文化団体の活動など読谷村に劣るものではない。伝統芸能、産業その他、町の歴史に自信を持ち、未来につなぐものを町民全体で確認しあう共同作業の必要性を感じた。